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マイクロソフト
マイクロソフト (Microsoft Corporation) は、アメリカ合衆国に本社を置く世界最大のコンピュータ・ソフトウェア会社であり、インターネット事業やハードウェア、ゲーム機器も製造している。1975年4月4日にビル・ゲイツとポール・アレンによって設立された。現在のビル・ゲイツ会長の個人資産のみでも、全米の全資産の数十パーセントを占めると言われ、世界一の富豪としても知られる。2008年中に会長職を始め、全ての役職を退くと発表。NASDAQに上場していてMicrosoftのティッカーシンボルは「MSFT」。マイクロソフト株式会社 (日本法人、Microsoft Co.Ltd.) の社員数は、2006年 1800名を超えた。これは、1999年 900名、2003年 1500名と年々社員数を増員しているが、その9割以上は中途採用である。新卒採用は国内外の一部のエリート大学からのみ少数採用が行われている。
一方、中途採用については完全な実力主義である。株式の時価総額は、世界3位(約2825億ドル)であり、日本の都銀を全て買収できるほどの資産価値を持つ。
日本経済新聞社調査の企業ブランドランキングでは毎年ソニーと熾烈な争いを展開し、2006年は日本でも第1位となった。
概要
*会長 - ビル・ゲイツ
*社長 - スティーブ・バルマー
*本社所在地 - アメリカ合衆国ワシントン州レドモンド (ワシントン州)|レドモンド市(シアトル郊外)
広大な敷地に中低層のビルが点在し、運動場もあることから、大学のキャンパスになぞらえて「マイクロソフト・キャンパス」と呼ばれている。
これにちなんでマイクロソフト社のことをレドモンドと呼ぶことがある。社名の由来はマイクロコンピューター・ソフトウェアを略したものといわれている。
マイクロソフト株式会社
*日本法人(マイクロソフト株式会社)
代表執行役社長 ダレン・ヒューストン
本社所在地 新宿小田急サザンタワー。その他東京では、代田橋、調布に営業所が所在。
コンピュータ業界では米国本社との区別のために「MSKK」と呼ばれることが多い。
部門によっては、半数以上の従業員がベンダー、派遣社員で占められている。
極端なカジュアルスタイルで知られ、一部の営業、マーケティング部門以外は私服での勤務となる。
日本法人は初代社長古川享(古川享|サム古川)らの影響により、他国の現地法人と比較して本社に対する発言力は高い。かつてビル・ゲイツの日本市場展開において恩を売ったためと言われる。またMSでは他の外資企業にあるように、日本マイクロソフト、マイクロソフトジャパンといったような米国本社との従属関係を示すような名称は使われない。これも古川氏の要求だと言われている。
優秀かつ希望した社員については US本社への転勤も積極的に行われる。
初代Xbox開発グループにおいてリストラが敢行されたことが話題となる。創立以来リストラの例としてはこの 1件が唯一の事例。
社員の平均年齢は35.8 歳。うち男性:36.2 歳 女性:34.2 歳(2006 年 7 月 3 日現在)であり、IT業界では比較的高め。外資系企業としては高めの水準である。Windows 95景気により、当時の社員は大金を手にし、軒並み退職していったが、その後の入社組は定着率が高いようである。
歴史
当初は、世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「Altair 8800|アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタープリタの開発・販売で成功を収めた。当初はネイティブ環境(カセットテープベースでOSは無く、ROM-BASICに近い環境のもの)であったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/MベースのMBASICを発表する。グラフィックス機能をつけたGBASIC、16bit用のGWBASIC(GWのWは16bitを意味するダブルバイト/ワードだとされている)が登場する。ついで、PC/AT#IBM-PC|IBM-PC上のOSの開発を請け負い(シアトルコンピュータプロダクツのQDOS|86-DOSの権利を購入し改良、86DOSの開発者ティム・パターソンは後にマイクロソフトに引き抜かれMS-DOSの開発メインスタッフとなる)、PC DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM-PCとそれら互換機の普及と共に OSの需要も伸び、現在に至る地固めを確かなものとした。マイクロソフトは、MS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・FORTRANなどの開発を手がける一方、Macintoshの影響を受けて、MS-DOS上で動作するグラフィカルユーザインターフェース|GUIシステム「Microsoft Windows|Windows」の開発に注力した。また、ビジネス向けの表計算ソフトやワードプロセッサ|ワープロソフトなどを開発し、先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも、多方面のビジネスソフトで市場占有率|シェアを独占するに至った。黎明期の1970年代後半-1980年代前半には、当時早稲田大学の学生であった西和彦(アスキー (企業)|アスキー創業者、元社長)がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。このことは、マイクロソフトの日本進出に大きく作用している。アスキーは、MSXやAXの共同展開や、日本法人設立までの日本代理店(実際は子会社のアスキーマイクロソフト株式会社が担当)を務めるなど、大きな貢献をしていた。しかし1986年にマイクロソフトが100%出資の日本法人(マイクロソフト株式会社)を、アスキーから古川享・成毛眞ら一部の社員が独立する形で設立したため、提携を解消した。OSはMS-DOSの他にXenixの開発や、IBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後デヴィッド・カトラー率いるディジタル・イクイップメント・コーポレーション|DECの開発チームを移籍させるなどしてMicrosoft Windows NT|Windows NTを開発した。このノウハウを元にWindowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したMicrosoft Windows 95|Windows 95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。また、このときにアスキーとの復縁もアピールした。その後もWindowsの改良を進め、何度もマイナーチェンジを繰り返した他、インターネット経由やCD-ROMなどで大量のパッチを配布している。Windows NTによりサーバ市場への進出も果たした。Windows XPの発売によりWindows 9x系|MS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合した。また、ゲーム機としてXboxを2001年に発売した。2005年12月にはXbox360を発売している。因みに 奇しくも、ゲーム業界ではライバルである任天堂のアメリカ合衆國法人(Nintendo of America、NOA)とは、立地上隣同士である。その事もあってか、ゲーム業界ではしばしば「マイクロソフトが任天堂を買収する」といった噂が立つが、今のところ両社は公式にその可能性を否定している。

